源泉かけ流しの露天風呂付き客室がある、 越前あわら温泉 つるや

写真:内観

写真:内観

写真:内観

写真:内観

明治十七年の創業。
水田の中から湯の沸いたあわらには、ことさらの美景もございません。誇れるものは、湯の良さと人の温かみ。

数ある湯宿のなかから、つるやをお選びくださった方々に「よかった」と言っていただけるよう、またのお越しの折りに「変わらないね」とご満足いただけますよう、日々、あらたな気持ちで、お迎えの準備に心を尽くしております。

写真:内観

写真:内観

その昔、あわら温泉中心部の温泉地帯は低湿な沼地でした。明治16年に町内堀江十楽のひとりの農民が灌漑用の水を求めて水田に井戸を掘ったところ、温泉が湧き出したのがあわら温泉の始まりです。

翌明治17年には何軒かの温泉宿が開業し湯冶客を泊めるようになり、明治45年に旧国鉄三国線が開通して以降、温泉街として発展していきました。その後、第二次大戦(昭和20年)、福井大震災(昭和23年)、芦原大火(昭和31年)、38豪雪(昭和38年)、ナホトカ号事故(平成9年)など度重なる震災、事故を乗り越え今日に至っております。

写真:あわら温泉

つるやは、あわら温泉湧出の翌明治17年、初代館主「吉田 間右衛門」が湯冶の温泉宿を開業したのが始まりです。第二次大戦では、陸軍病院として摂取され、福井大震災では当時の女将が亡くなり、芦原大火では、新築中の建物が全焼しましたが、その都度不死鳥のようによみがえり、芦原温泉の歴史とともに、歩んで参りました。

現在の本館建物は、大阪の数奇屋造りの名棟梁「故・平田雅哉氏」(映画『大工太平記』にもなりました。主演は森繁久弥)の設計施工によるもので、茶室風・料亭風の、趣のある建物となっております。

つるやは明治17年創業、昔ながらの日本の文化としてのちのちまで伝えるべく、従業員一同、日々精進いたしております。

写真:つるやの歴史

写真:つるやの歴史

つるやの本館は昭和を代表する数寄屋の名棟梁「故・平田雅哉氏」によるものです。
その生涯で400軒にも上る建築は「平田数寄屋」と呼ばれ、みずから図面を引き大工としても腕をふるい、独自の作風を築きあげました。
「建築は風呂敷に包まれん。出来上がりが気に入らんからといって、引っ提げて持って帰るわけにはいかん」と心血を傾ける仕事振りは有名で、映画にもなったほど。

高麗橋「吉兆」城崎「西村屋」熱海「大観荘」八日市「招福楼」など昭和を代表する数々の名建築を残しています。

「つるや」もまた、そのひとつ。建築中に芦原大火に見舞われるという災害を乗り越え完成した本館には
平田棟梁の斬新なセンスと美意識が今も息づいています。

写真:平田数寄屋

写真:平田数寄屋

数寄屋の名工、故・平田雅哉氏の手による建物には、美しく、懐かしく、どこかモダンな光と影が息づいています。

写真:内観

写真:内観

写真:内観

仕事の合間に、平田棟梁がみずから彫り上げたという、置物や見事な欄間。
館内の随所に名工の遊び心が見え隠れ。

写真:内観

写真:内観

心地よく、清々しく、あたたかく。
洗練された雰囲気の中、ほっこりと、心休まる湯宿ならではのおもてなしを心掛けております。

写真:内観

写真:おもてなし

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